2007.07.15
写真は語る [カンボジアン・イノセント]
ジェノサイド
トゥールスレーン・ジェノサイド博物館にて, Jun 2002 Cambodia
壁一面に張り巡らされたおびただしい数の顔写真
悲痛に表情を歪める者
眼光に怒りを込める者
目をそむける者
しかし、圧倒的多数は表情が・・・無い。
肩から上を切り取られた写真からは、喜怒哀楽、いかなる感情を読み取ることが出来ない。
凶器と化した陽光降りそそぐ午前10時、プノンペン市内にあるトゥールスレーン・ジェノサイド博物館へ行った。
1975年から4年間、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが刑務所として使用した場所だ。その間、10,499人(子供除く)もの学者、教師、学生、医師、技術者、農夫、そしてその家族が虐殺された。
僕は3年程前の学生だった頃、この場所を訪れたことがある。その時は、あまりの残酷さ、悲惨さに目を背けてしまった。今回、全てを直視しようと再びここプノンペンを訪れた。
十畳間の部屋に鉄のベットが一つ。処刑後撮られた写真とともに置かれている。一畳半に区切られた独房。人影はなくとも憎悪と悲痛で埋め尽くされている。そして、老若男女無数の写真。全て一定の構図、一定の角度で撮られている。不気味なまでの冷静さ。
一枚の少女の写真の前、片膝を立て、カメラを構える。レンズのフレームを写真の枠に合わせ、ゆっくりとピントを絞っていく。少女の顔が徐々に明確になるにつれ、圧倒的な恐怖が背筋を凍らせ、とめどない悲しみが視線を曇らせ、やり場のない怒りが五体を震わせた。そして、人差し指に力を込め、静かにシャッターを切った。「カシャッ。」大きな機会音が館内を響き渡り、僕はクメール・ルージュのカメラマンと同じ事をやったのだ。
直視とは、つらし、かなし、あわれ、と言いつつ、涙を拭きつつ耐えることではない。むしろ、それらを受け止めて、こちらから作用し、そこから懸命に何かを読み取ることである。写真は事実真実を語ってい る。現代に生きる私たちは、その言葉を聞き、理解し、そして決して忘れぬよう心に刻み込まねばならない・・・そう思った。
狂気に満ちた歪んだ過去
生気を奪われた無数の瞳
写真に秘められた数々の言葉に
心の拳
炎となりて
ふるいたつ
2002/06/14 旅日記より